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テンドルマンの記事は、臨床栄養士(Holisitic Nutrition)が書いています。

このブログで取り上げる、栄養やダイエットなどの情報は、 臨床栄養士(Holistic Nutrition・アメリカ資格)が、 近代栄養学の臨床データーや研究データーに基づいて、 書いております。

どこか、似ているな・・?

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    さて、今日は何を書こう?

     

    今世間を賑わしている問題、

    政治的には、森友学園や加計学園の問題。

     

    のらりくらりと、いろいろ答弁をしてますが、

    大の大人が、国会という場で、堂々と言い訳や

    発言の取り消しなど、何なんだろう?

    と思う事が多いです。

    ・・政治家ってそういう者と言えばそうですが・・

     

    そして、もう一つは日大の問題。

     

    これも言い訳だの、否定だの、

    学生を教育する場で、それを指導する者たちが、

    とる態度なのかな?と疑問を感じます。

     

    でも、なんだか両方とも何だか似ているような

    気がするのです。

     

    大義名分を守るため、自分より上の者に対する忖度。

    自分たちの欲。国民のため、学生のため?

    いやいや、それは自分たちのためなのです。

     

    般若心経にありますよ、

    物事執着しなければ、なにも恐れる事も、

    怯える事も無いとね。

     

     

     

     


    一滴の精油には、多くの人の汗が流れています。

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      先日、蚊避けスプレーの話をしたら、

      何人かのお客様からお問合せがありました。

       

      このブログから、そのような反応があるのは、嬉しい事です。

       

       

      さて、現在お客様からの案件として、

      ローズオットーの購入希望と、芳香浴用の数種類のバルク精油の

      輸入依頼が来ています。

       

      ローズオットーは、イギリスのメドウズ社のグレードが高く、

      私がいつも取引しているオーストラリアの会社よりも、

      価格的にリーズナブルなので、そちらから見積を出しました。

      こちらは、お客様からのご注文を頂き、

      今、イギリスに発注をする準備をしている所です。

       

       

      芳香浴用の精油は、クリニックで使用する精油で、

      出来るだけ、価格を抑えたいという要望から、

      オーストラリアの会社に見積もりを依頼しました。

      驚いた事に、精油価格は1年前とほぼ変わらない価格だったのですが、

      送料が3倍にもなっていました。

       

      詳しい理由は、言わなかったのですが、

      会社の所在地が変わり、街から遠く離れた所に会社があるから、

      というのも、その理由のひとつらしいです。

       

      ただ、年々精油の価格も高くなっていて、

      特に希少価値のある、ローズオットーやネロリ、

      フランス産のラベンダー、サンダルウッドなど

      価格が上がっています。

       

       

       

       

      精油は自然から採れる物です。

      きれいなビンに詰まっていると、工業製品のように

      思われる方もいますが、野山や畑に生育している植物を、

      刈取りまたは収穫します。

      (ローズなどは、花をひとつひとつ手で摘み取っているのです。)

       

      そこから、時間を掛けて蒸留して得られる物ですので、

      そこには、量的に限界があります。

       

      また、何処で採れた植物なのか?栽培環境は?蒸留の仕方は?

      などなど、様々な要因をクリアして、私たちの手元に

      届くのです。

       

      ですから、自然環境が変わったり、経済状態、政治の状況、

      などにより、精油の生産量というのは、変化するのです。

       

      そんな大切な精油を私たちは、芳香浴やマッサージ、

      または化粧品の材料などに使用している訳です。

       

      ある意味、とっても贅沢だと思いませんか?

       

      アロマセラピーとして精油を使用するからには、

      このビンに詰まるまでの過程を理解し、大切に大切に

      扱いたいですね。

       

       

       


      人口減少と労働力の不足

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        20日のNHKスペシャル

        「縮小ニッポンの衝撃 労働力激減 そのとき何が」は、

        ここ数年言われている問題を、取り上げていて、

        興味深く観ました。

         

        少子高齢化の問題や、労働力の問題は、

        国の将来を考えた場合、今、一番取り掛からなければ

        ならない問題だと思います。

         

        日本の人口が減少していき、

        そうなると、当然労働力の不足も出てきます。

         

        政府は定年の延長や年金の支給年齢を引き上げたりと、

        付け焼刃的な政策を取ろうとしています。

         

        一方では、景気回復、経済の活性化を謳い、

        産業の活性化、つまり労働力の必要な政策を、

        主たるものとして、進めています。

         

        でも、労働力が不足していたのでは、

        どんなに仕事が多くあっても、その仕事をこなす事が出来ず、

        過剰労働を招いたり、一人の負担が増大します。

         

        また、年金受給者が増えても、労働人口が少なくなれば、

        年金の原資が足りず、そこで増税をするのですが、

        それはまた、国民の生活を圧迫してしまうという、

        堂々巡りの状態に陥ってしまいます。

         

        AIやロボットの有効的な活用という政策もありますし、

        確かに一部の分野においては、人が必要では無くなる部門も

        出てくるでしょう。

         

        けれども、労働力が不足し、一番問題なのは、

        介護、建設、運送、サービスなど、

        人と人がコミュニケーションを取りながら進める仕事が多く、

        その中にAIやロボットが何処まで入れるか?

        というのは、何ともいえないと思うのです。

         

        根本的な解決策としては、出生率を高める事ですが、

        現在の日本においては、子どもを産み育てるという環境が、

        厳しくなり、躊躇してしまう夫婦も多いようです。

         

        ただ、この環境は、政治的、政策的な意味合いが強い事なので、

        国が本気になって育児環境などを整えれば、改善する可能性が

        無い訳ではないと思うのです。

         

        出生率が高まり、人口減少に歯止めがかかれば、

        この問題は多少なり解決への道筋がつくと思うのですが・・・。

         

        そして、当面の解決策は、やはり海外からの労働者を雇う環境を

        整える事ではないでしょうか?

         

        日本は島国、単一民族の国家のため、外国人の受け入れには、

        難色を示す人もいるようです。

         

        ただ、今のこの時代、同じ地球に住む人という認識で、

        対処するのが良いのではないか、と考えるのです。

         

        いずれにしろ、この問題は、最重要課題の一つとして、

        考えていかなければならない、と思うのです。

         

        テレビを観ながら、そんな事を考えていました。

         

         

         

         


        単なる虫よけじゃ、面白くない。ボディースプレーに使える虫よけ

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          ここ数日、暑い日が続いています。

          もうすでに「蚊に刺された」、

          という方もいらっしゃるようです。

           

           

          そんな季節になると、虫よけグッズが欲しくなりますね。

          ドラッグストアーなどでは、

          目立つ所に虫よけのスプレーなどを

          陳列している所もあるようです。

           

          そして、

          テンドルマンでは、

          2種類の虫よけスプレー商品を販売しています。

           

          メドウズのモッジスプレー

           

           

          ガーデニングの盛んなイギリスで生まれた、

          虫よけのスプレーです。

          レモンユーカリやシトロネラは、虫の嫌いな香りです。

          でも、人間には爽やかな香りとして受け入れらています。

           

           

          ピヨコAMスプレー

           

                

           

          ラベンダーやゼラニウムのちょっと甘い香りは、

          多くの人に優しい香りとして受け入れられています。

           

           

          どちらも、天然アロマの精油を用いた、

          虫よけのスプレーです。

           

          そして、この2つの種類の虫よけが、

          ドラッグストアーで売っている物との決定的な違いが、

           

          1)ディートなどの化学薬品(昆虫忌避剤)を使用しない。

           

          2)香りが良い。

           

          科学薬品を使用していないので、小さなお子様にも

          安心してご使用頂けます。

           

          そして、天然アロマを用いた商品ですから、

          香りが良い、という事です。

           

          ですから、これらの商品は、ボディースプレーとしても

          お使いになられている方が多くいて、

          蚊の居ない、冬の間でも売れているのです。

           

          今年の夏に、これら天然精油の虫よけスプレーデビュー、

          して下さい。

           

           

           

           


          航空機、エンジンは2発のものが主流です

          0

            何となく、新しい気持ちで、このブログを書き始めました。

             

            昨日まで続いていた毎日書くぞ!というノルマは、

            取りあえず達成したからです。

             

             

             

             

            古いファイルの中に、この写真を見つけました。

             

            ANAのボーイング747−400です。

             

            今ではこの機種を、日本の旅客航空会社で使用しているところはありません。

            貨物専門の航空会社か、政府専用機は、747を使用していますが、

            エンジンが4発ついている事から、燃費の問題等で、

            使用しない航空会社が増えてきているのです。

             

            ちなみにエンジンが4発ついている航空機で有名なのは、

            この747と、エアバスのA340、オール二階建てのA380となっています。

             

            ただ、これらの航空機もだんだんと需要が減っているようで、

            一番新しいA380でさえも、使用を躊躇する航空会社が増えているようです。

             

            それは、エンジン自体の性能が向上し、

            2発のエンジンでも長距離の飛行が可能になったり、

            安全性が高くなっていることから、航空会社も効率の良い機種を選ぶように

            なってきているのです。

             

            ジャンボジェットと親しまれた747が、

            少しずつ航空業界から消えて行く、というのは、ちょっと淋しさを覚えます。

             

            この懐かしい写真から、そんな事を考えました。

             

             

             

             


            ちょっと、一区切り、これからも書き続けます

            0

              さて、今日で目標にしていた1年が経ちました。

               

              仕事に出てきた日は、毎日更新するぞ!と頑張ってみました。

               

              「本当は毎日更新するぞ!」なのかも知れませんが、

              自宅にPCが無いので、仕事に出てきた時のみの更新です。

               

               

              でも、世の中には毎日更新している人が多くいます。

               

              私が愛読している、「いすみ鉄道社長ブログ」

              鳥塚社長さんは、毎日更新しています。

              ホント、凄い方だと思います。

               

              それを「半分」目標にやって来ましたが、

              私はとりあえず、1年でゴールということにしました。

               

              ただ、まるっきり書かなくなる訳では無く、

              少しずつ更新をしていきたいと思います。

               

              健康の事、ハーブの事、食べる事など仕事関連の話題や、

              私が個人的に興味がある事柄などを、随時取り上げて、

              書いていきますので、引き続きのご愛読をお願い致します。

               

               

              私自身は、この1年でたいして変わる事は無かったのですが、

              周りはいろいろ変化がありました。

               

              仲の良い親友が長期入院したり、母が倒れて現在入院中。

              叔母も入院したり、父も入院・・・。二人とも現在は元気で

              米屋の仕事をしています。

               

              娘が結婚したり、姪っ子も結婚。

              妻側の甥っ子二人に子供が生まれたり・・・。

               

              やっぱり、いろいろありました。

               

              まぁ、これからはちょっとした日記がわりにもしながら、

              書ける限り、書き続けていきます。

               

              尚、Facebookへの自動時の連携は、

              明日以降しませんので、

              もし、ブログを引き続きお読み頂ける方は、

              直接のページにお越し下さい。

               

              Tendrementから発信


              私のこと 仕事そして現在

              0

                大学卒業時は、かなりの就職難でした。

                 

                大学時代の友人は、何人も意図的浪人をして、

                1年余分に学校に行っていました。

                 

                ただ、就職先でも、ファーストフード店(マクドナルドなど)や

                スーパーマーケット、ファミリーレストランなどからの

                求人は多く来ていて、それらの業種に進んだ友人も数人いました。

                 

                彼らは、アルバイトから社員になり、現在では取締役になっている

                者もいます。

                 

                私は実家の米屋の仕事が忙しかった事もあり、

                そのまま、仕事を継ぐような形になったのですが、

                この業界の将来性というのをいつも考えていて、

                また、当時増えつつあるコンビニエンスストアーにも興味があり、

                将来は業態の転換を考えていました。

                 

                興味があるというのは、面白いもので、

                次から次へと、いろいろなチェーンの開発担当者がやって来ました。

                 

                現在では消滅してしまったチェーンや、大手のチェーンは全部やってきて、

                その担当者と共に、都内を始めいろいろな店舗を見せてもらい、

                また店長さんやオーナーさんとも話をさせてもらいました。

                 

                 

                いろいろ勉強になった時期でもありました。

                 

                結局はファミリーマートを始める事に決めたのは、

                大学を卒業してから4年後の26歳の時でした。

                 

                コンビニの事、それをやめてテンドルマンを始める経緯については、

                このブログでも何度も書いていますので、以下に簡単に記しておきます。

                 

                1984年4月 ファミリーマート昭島中神店開店

                1996年10月 ファミリーマート閉店

                1996年11月25日 テンドルマン開店

                2014年1月 テンドルマン新店舗にて営業開始

                 

                本当に簡単なプロフィールです。

                 

                そんなこんなで、先週からいろいろと書いてきました。

                 

                テンドルマンをやっている、私という人間が、どういう者か、

                多少は分かって頂いたと思います。

                 

                今後のテンドルマンについては、現在模索中です。

                今の状態を継続しながら、次のステップへ進むために、

                いろいろと調べていますが、

                次は人が「喜ぶ事」を主なテーマとして取り掛かれればいいな、

                と思っています。

                 


                私のこと バイト&仕事

                0

                  バイトや仕事

                   

                  「初めてのお使い」、じゃなくて、「初めてのバイト」は、

                  中学3年生の時でした。

                   

                  家の前にあった八百屋さんで、働いたのが初めての経験となりました。

                  どういう経緯だったかはあまり覚えていませんでしたが、

                  その八百屋さんのおじさんは、リヤカーでの引き売りから始めて、

                  一代を築いた人なので、一緒に働いていて、いろいろと勉強になりました。

                  中学生ながら仕事に対する心得、みたいなものを感じたのを覚えています。

                   

                  ただ、仕事に関しては、実家が米屋なので、中学生の時には、

                  家の手伝いとしてちょっとした配達などをしたりしていました。

                   

                  ですから、まるっきり初めてという訳では無いのですが、

                  働いた報酬を他人から頂くありがたさを、初めて経験したのです。

                   

                   

                  高校生になってからの本格的なアルバイトは、電気工事の仕事でした。

                   

                  これは、私が兄貴のように慕う人が、電気工事会社(個人)を

                  経営していて、そこの手伝いという名目で働かせてもらいました。

                   

                  そして、最初に行った現場が、なんと自分が通っている高校だったのです。

                   

                  当時、校舎の新築工事を行っていて、そこの弱電機器(スピーカーなど)の

                  取り付け工事に行ったのです。

                   

                  私も教えられるままに、スピーカーなどを各教室に取り付け、

                  そのテストなどを行いました。

                   

                  現在は電気機器の取り付けなども、資格などがあり、(当時もあったのかも?)

                  無資格の者は出来ないのですが、当時はその辺りは大らかなところが

                  あったようです。

                   

                  そして、夏休みでしたが、工事をやっていると、

                  クラブ活動にきていた友だちに驚かれたり、冷やかされたりしたのを、

                  かすかな記憶として覚えています。

                   

                  その後、その工事会社では、高校や大学の春休みや夏休みに、

                  人手が必要な時に働いていました。

                   

                  ここでの経験というのは、その後自分が仕事をするにも

                  生かされていて、特に職人さんとのコミュニケーションなど

                  については、この当時の経験が生きていたと思っています。

                   

                  大学時代には、駅の臨時職員(いわゆる「尻押し部隊」)の仕事を、

                  朝の1時間だけでしたが、地元の駅でやっていました。

                   

                  当時の青梅線は4両編成がほとんどで、ラッシュ時の朝7時〜8時半

                  の間は、ぎゅうぎゅう詰の電車が多かったのです。

                   

                  この毎朝の1時間の仕事の間にも、いろいろな事を学び、経験し、

                  一般の人が経験出来ないような事にも遭遇し、対処しとことを

                  覚えています。

                  この事については、このブログでいづれ書いてみようと思っています。

                   

                  その他、大学時代に経験したアルバイトは、

                  家庭教師、役所の文書整理(これは1日だけのバイト)なども、

                  電気工事や駅、実家の仕事と一緒にしていました。

                   

                  何時、大学に行っていたの?と思われるかも知れませんが、

                  先日も書いたように、長期に大学が休みになる事もあり、

                  その間に、せっせとバイトに励んでいた記憶があります。

                   

                  ・・続く・・

                   

                   

                   


                  私のこと 中学〜高校〜大学

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                    中学時代

                     

                    前にも書きましたが、柔道部に属し、

                    毎日練習に明け暮れていました。

                     

                    当時の運動部なんて、精神論が強く、

                    基礎練習はウサギ跳び、誰かを背負って階段の昇り降り、

                    練習中は水は飲まない、そんな練習をやっていました。

                     

                    それでも、仲間とワイワイやる練習は、

                    10代前半の私にとっては、遊びの延長みたいで楽しかったです。

                     

                    中学校は取り立てて進学校という事ではなかったので、

                    勉強もそこそこやり、それなりの中学校生活を送っていました。

                     

                    友だちは、小学校からのデコさん、ケービーとよく遊び、

                    柔道部のタカさん、今でも仕事の接点があるサカエちゃんなどと、

                    一緒にいたと思います。

                     

                    印象的な先生は、柔道部顧問の鈴木先生や、音楽のミゼット先生、

                    社会のジンペイ先生などが記憶にありますが、

                    友だち、先生とも中学校時代はそんなに多くの記憶が残っていません。

                     

                    大人への成長の途中であったので、

                    柔道部の記憶以外は、あまり残っていないです。

                     

                    高校時代

                     

                    高校は地元昭島市の高校でした。

                    当時は、高校を単独で受験する事が出来なくて、

                    立川にある高校と昭島市の高校がひとつのグループになっていました。

                    本当は昭島市から出たかったのですが、

                    ここに留まり、何の因果が、今もこの地で生活をしています。

                     

                    高校時代の友達は、今でもFaceBookで友だちになっているように、

                    長いお付き合いが出来る基礎ができたと思います。

                     

                    中学校時代は、まだ子どもの部分が多く、

                    自分という個性も確立していなかったのですが、

                    高校生になると、私を含めてみんなの個性が確立し、

                    本当に自分と波動が合う人と出会うきっかけになりました。

                     

                    高校時代の友だちは、一生涯の友だちになる、

                    と先人たちも言っていましたが、まさにそんな感じです。

                     

                    高校時代のクラブ活動は、剣道部でした。

                    入学した時に、中学校のクラブの先輩から柔道部を誘われました。

                    どうしても、断わり切れずに、1回だけ練習に参加しましたが、

                    腰の問題や、体の小ささから、柔道部は無理だと悟り、

                    その先輩には丁寧に断ったことを覚えています。

                     

                    ただ、小学生から柔道をやっていたので、もう飽きたという感も

                    ありましたが・・。

                     

                    剣道部に入ったのは、当時テレビドラマで、剣道部を舞台にした

                    ものが放映されていて(俺は男だ!)、そんな事で、

                    クラスの友だちに誘われたのが切っ掛けでした。

                     

                    剣道部は高校で初心者もいたのですが、中学校時代からやっていた者も多く、

                    入った当時から実力の差が歴然としていました。

                     

                    こんな事なら、柔道部のほうが良かったかな?なんて思った事も

                    有りましたが、でも高校時代は剣道部で通していました。

                     

                    大学時代

                     

                    楽しい高校時代はあっという間に過ぎ、

                    受験、そして大学進学となりました。

                     

                    大学では、そこそこに授業に出席し、単位を落とさないようにする

                    ことを目標にしていました。

                    ただ、当時は学園紛争の最後の時期だったため、

                    試験をまともに受けたのは、1年生の頃だけで、2年から4年までは、

                    前期は試験があったものの、後期は全てレポートという状態でした。

                     

                    学校の中に、黒いヘルメットやこん棒を持った人がいる、

                    なんていう事は、今の学生には分からないでしょうね?

                     

                    そして、彼らは学校の敷地内で、いつも政治について演説をしていて、

                    あの頃、若者の力で世の中を変えられる、

                    と信じていた人が多かったと思います。

                     

                    この大学時代、教科書や教授から学ぶ事よりも、

                    彼らの話や後日書く予定のアルバイトなどから学ぶものが

                    多かったのではないか、とも思っています。

                     

                    ・・続く・・

                     

                     

                     

                     

                     


                    私のこと 2

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                      子どもの頃

                       

                      私が子どもの頃には、

                      家の周りには畑や空き地が多くあり、

                      遊びはもっぱら、空き地や裏通りで遊ぶ事が多かったです。

                       

                      近所に公園もありましたが、

                      それよりも近くにある、ちょっとしたスペースで

                      遊びを楽しんでいました。

                       

                      缶けり、馬乗り、相撲などなど。。

                       

                      よその家の畑に入り、土だんごを作って「戦争ゴッコ」や、

                      桑畑の中に「秘密基地」を作って遊んだ事もありました。

                       

                      畑では、そこで栽培されているネギなどを引っこ抜いて、

                      農家の人に怒られたり、秘密基地の近くで、

                      蛇(青大将)がトグロを巻いているのを見つけたり、

                      まぁ、自然の中で良く遊んだものだと思っています。

                       

                      小学校の頃は、デコさん、ケービー、バッチ、

                      この三人とは、特に仲が良く本当によく遊びました。

                       

                      もちろん、公園でも遊びましたよ。

                      その公園には、アメリカ軍に努める軍人の子どもも遊びに来ていて、

                      まともに英語を話せないのに、うまくコミュニケーションを取って、

                      遊んでいたのを覚えています。

                       

                      昭島市は、西に横田基地、東に立川基地があり、

                      近所にはそれら軍人のためのハウスが多く建っていました。

                       

                      いまでも、ハウスは残っていますが、それは限られた地域で、

                      家の近所には、ほとんどありません。

                       

                       

                      運動

                       

                      小学校の頃は、ソフトボールをよくやっていました。

                      放課後に、小学校の校庭に集まり、チームを作って楽しんでいました。

                       

                      自分はファーストかキャッチャーが多かったような気がしますが、

                      あまり上手ではなかったので、この話はここまで。

                       

                      小学校4年生?の頃から、柔道を習い始めました。

                      親が礼儀作法を身につけるには、柔道は良い、ということで、

                      昭島警察の道場で習う事になったのです。

                       

                      後で知った事ですが、警察道場の柔道は、荒い、という事らしく、

                      そう言えば、随分と投げられた思い出があります。

                       

                      もう、柔道なんてやりたくない、と思いながらも、

                      結局、中学校で柔道部に入り、キャプテンまでさせられていました。

                       

                      まぁ、体が小さい私ですので、体のあちこちを痛め、

                      特に現在腰が悪いのは、その頃の無理な動きが、遠因になっているようで、

                      高校に入った時のクラブ活動では、さすがに柔道を選びませんでした。

                       

                      その他の運動は特に得手不得手も無かったのですが、

                      どういう訳か、大学に入った頃から長距離走に目覚め、

                      その楽しさを覚えました。

                       

                      それは、大学1年の体育の時間に、陸上競技部の監督が、

                      私の800メートル走をみて、「君は高校時代陸上部だった?」

                      「きれいな走りをしている」と煽てられたのが、原因だったと

                      思うのです。

                       

                      まぁ、これもそんなに大成する事無く、

                      あくまでも趣味の分野として、走れなくなってしまった数年前までは、

                      スポーツクラブなどで走っていました。

                       

                      運動といえば、20歳頃から始めたスキーには、

                      随分と、はまり込んだと思います。

                       

                      車も、スバルレオーネワゴン4WDをに乗り、

                      スキーの出来る期間(12月から3月まで)は、毎週のように

                      スキー場に通った年もありました。

                       

                      特にインストラクターの資格を持つ人と知り合ってからは、

                      その人といつも一緒にスキーに行き、いろいろな技術を

                      教えてもらいましたが、自分がどの程度のレベルかと言えば、

                      まぁ、中の上レベル止まりだったと思います。

                       

                      スキーは、コンビニの仕事を始めたり、結婚したり、

                      子どもが出来たりして、30歳を過ぎる頃にはほとんど行かなくなりました。

                       

                      ・・続く・・

                       

                       


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