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テンドルマンの記事は、臨床栄養士(Holisitic Nutrition)が書いています。

このブログで取り上げる、栄養やダイエットなどの情報は、 臨床栄養士(Holistic Nutrition・アメリカ資格)が、 近代栄養学の臨床データーや研究データーに基づいて、 書いております。

秋田県湯沢市「麓の米」番外編

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    秋田県稲川町(現在は町村合併によって湯沢市、
    便宜上このブログでは稲川町と言います)に、
    初めて訪れてから今日まで、何回伺ったでしょうか?

    ここ数年は、なかなか訪れる機会も少なくなり、
    ご無沙汰が増えてしまいましたが、
    多い時だと年に2回も伺ったことがあったと思います。

    さて、稲川町ですが、
    最寄のJRの駅は奥羽本線の湯沢駅です。
    現在は秋田新幹線で大曲まで行き、
    そこから奥羽本線を使うというのが、
    一番便利だと思います。

    湯沢駅.jpg


    最初の頃は、それが無いので、結構苦労して
    訪れた印象があります。
    そこで、私たちが稲川に行く時に、
    どのようなルートで行ったかを挙げてみたいと思います。
    (記憶にあるものだけです。)

    【電車の場合】(湯沢駅から先は、農協の長里さんに
            迎えに来てもらいました。感謝です!)
    1)東北新幹線で大曲まで行き、そこから奥羽本線で湯沢駅。
      (一番新しいルート。電車での最速)

    2)東北本線で北上まで行き、そこから北上線、
    横手で奥羽本線に乗り換え湯沢駅。
      (初めて行った時のルート。その後何回か使用)
      北上でレンタカーを借りた事もあったかも・・?

    3)東北新幹線で福島駅、そこから山形新幹線で山形、
    新庄まで開通してからは、新庄まで行き、そこから奥羽本線で湯沢駅。

    4)東北新幹線で一関へ行き、そこからレンタカーを借りて、
    国道342号線を経由して稲川町。
      (稲川町での足を考えると車は便利)

    5)東北新幹線と山形新幹線で山形へ行き、そこからレンタカーを
    借りて国道13号線経由で稲川町


    こまち.jpg


    【車の場合】
    1)東北自動車道で仙台まで行き、そこから山形自動車道で山形へ。
    そこから国道13号線で湯沢まで行き、そこから国道398号線で
    稲川町というルート。
      (一番使用したルートかな?)

    2)帰りに利用したルートですが、
    湯沢から国道398号線を走り、宮城県の栗原市へ。
    そこから東北自動車道で東京へ
      (すごい、山の中を走った記憶がある)

    3)東北自動車道で北上まで行き、
    そこから秋田自動車道を使って横手へ行き、
    そこから湯沢横手道路で湯沢へ。
      (これが一番楽)

    【飛行機の場合】
      (日帰りには飛行機利用が便利)
    1)羽田から秋田空港まで行き、
    レンタカーを借りて、秋田自動車を使い横手、湯沢へ。


    まぁ、ざっと挙げてみましたが、
    まだまだ、この他にもいろいろなルートで、
    訪れた覚えがあります。

    ただ、秋田県には湯沢市へ行く以外は、
    その他1回しか行った事がないのが残念だ。
    (その時は田沢湖へ行ったと思います。
     学生の頃だから、40年も前になります。)








     

    諸行無常

    0
      今朝、仕事への出掛ける時にチラと観たテレビで、
      「禅」の事をやっていました。

      禅的な考え方や禅的な生活を紹介していたようです。


      私も数年前から、禅に関する本を読み、
      理解し、実践しようとしています。


      単純な事ですが、
      単純だからこそ、難しい事も多いです。

      ただ、今を生きる。
      それだけは、理解できたような・・。


      人は過去を悔むのでは無く、
      未来に不安の抱くのでは無く、
      今があるから、過去も未来も存在し、
      だから、今をより良く生きる事が、
      未来も自然と良くなる。

      過去を悔んでも、過ぎた事なので、
      それをグチグチ悩んでも、
      何の解決にもならない、
      今をきちんと生きる事が大切だ。

      という事です。

      諸行無常という考えですね。

      秋田県湯沢市「麓の米」6

      0
        私がテンドルマンの仕事で時間を取られる前は、
        頻繁に稲川町(現在は湯沢市)に伺いました。

        そして田植えや稲刈りなどを共にして、
        米作りの苦労や喜びなどを、
        麓の皆さんと話をしました。






        *初めての田植え
        (やっぱり若い!!92年だから、
         今から24年前!うん歳)




        *田植え機を扱っているのは、
        五ツ星お米マイスターの、私の弟です。




        *93年5月24日田植え




        *94年田植え。
        この時には秋田のテレビ局が取材に来ていました。






        *92年稲刈り。バインダーの使い方を教えてもらいました。




        *93年10月7日稲刈り
        刈り取った稲をハザ掛けでお米を乾燥します。



        このような掛け方もあります。

        安藤米店やテンドルマンで販売しているお米は、
        このようにして、生産され、
        麓の人たちとの熱い絆の元、生まれ育ってきました。

        実は「テンドルマン」が誕生した背景にも、
        麓の人たちが自然を愛し、自然と共に生活する
        姿や考え方に多少なりとも影響を受けているのです。

        安藤商店としては、このお米を通したお付き合いを
        大切にし、これからも大切に販売していきたいと
        思っています。

        「麓の米」シリーズはひとまずここまで。

        また、折に触れて麓の人たちの話をしたいと思います。

         

        ネトル

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          ”今日は麓の話はお休みです。”

          ちょっと暖かくなると花粉が随分と飛んでいるようですね。






          ネトルが売れてます。

          そして、ネトルの飲み方ですが、
          私の知人がひどい花粉症で、
          先日の打ち合わせ中にも、
          「クション、クション」とすごかったのです。

          そこで、ネトルのカプセルを2個飲んでもらいました。

          15〜20分位経った時に、
          「あれ!?くしゃみが出ない!」

          という事に気が付きました。




          ただ、それから1時間位すると、
          くしゃみの連続に戻ってしまったので、
          同じように2カプセル飲んでみると、
          今度は暫くの間(2〜3時間?)は、
          くしゃみが止まっているのでした。

          その後は打ち合わせも終わり、
          帰られたのでその後、
          どうなったかは知りませんが、
          数日後にネトルの注文がきたので、
          やっぱり効果があるようでした。


          これは、ネトルを頓服のように使用して、
          成功した例ですが、
          ネトルには体質改善という大きな効果もあります。

          長期間使用することにより、
          花粉症の体質を改善することもできた人も多いです。


          まだまだ、花粉は飛んでいます。
          是非、ネトルを試してください。

          *人によっては、効果を実感できない場合もあるようですが・・・







           

          秋田県湯沢市「麓の米」5

          0
            麓の人たちは、
            S.NさんやN.Kさんだけではありません。

            その他大勢の方が関わって、
            このお米が生産されているのです。

            安藤米店が麓の米を多くの人に知ってもらいたい、
            そして食べてもらいたい、と思って、
            94年11月20日に店の前で、
            初めてのイベントを行いました。




            翌95年からは、11月に行われる、
            昭島市の産業祭に出店したりしました。







            産業祭には5〜6年続けて出た覚えがあり、
            毎年交代で稲川町からやって来て、
            この産業祭に参加してもらったのでした。

            ある年などは、稲川町の町長がやって来たこともありました。


            *産業祭のために、駆けつけてくれた当時の遠藤町長。


            産業祭では、麓の米の他に、
            稲川町特産の「稲庭うどん」や
            「りんご」、「川連漆器」などを販売した年もありました。







            こうした交流を続けた結果として、
            安藤米店の「麓の米」は、
            だんだんと定着してきたのです。

            これは、遠く稲川町から足を運んでくれた皆さんの
            お力の賜物と思っています。



             

            秋田県湯沢市「麓の米」4

            0
              自分が食べている物を、
              どんな人たちが作っているか?
              という事に興味がある人は多いと思います。

              仮に無くても、やっぱり自分の口に入る物ですから、
              興味を持ってもらいたいですね。


              「麓の米」の生産者たちの中でも、
              私にとって、出会いの時から一番印象にあるのは、
              N.KさんとS.Nさんです。



              *94年11月20日初めてイベント。安藤米店店頭にて。


              このお二方は、麓の米の生産において、
              中心的な方々で、安藤米店とのお付き合いを
              続けて頂く上でも、
              いろいろと骨を折って下さった方々です。

              S.Nさんは、麓地区での有機米の生産を始めるに当たり、
              中心的に活動をしていたと聞いています。

              そして現在でも麓の米にとっては、
              無くてはならない人なのです。


              N.Kさんですが、
              彼の人生哲学というか、語録には印象深いものが多く、
              そのいくつかをご紹介したいと思います。

              N.Kさんは、「三梨牛」という黒毛和牛の肥育も行い、
              東日本のチャンピオンになるような和牛を育てる方でした。



              *93〜95年頃の写真です。
              N.Kさん、弟、私、そして私の息子です。


              その彼に、「どうやったら、そんな牛を育てる事が出来るのか?」
              と聞いた事がありました。
              彼が言うのは、
              「なぁ〜に、牛の気持ちになって、育ててやればいいんだよ」
              つまり、牛が心地よい環境を作ってあげれば、
              立派に育つという事を話した事がありました。


              また、飛行機で稲川町に伺った時、
              帰りの時間が近づくに従い、雨と風が強くなってきた事が
              ありました。

              不安気に空を見上げていた私たちに、
              「この雲の動きなら、すぐに風は止むよ」
              と話したのを覚えています。

              そして、飛行機の出発時刻が近づくと、
              本当に雨や風が止んでいたのでした。

              自然の中で生活し、自然の厳しさを知っている彼だからこそ、
              雲の動きで天気が予測できたのではないか、と思っています。

              その他、
              「長い道でも、続けて進んで行けば、
              必ず目的地に到着する」
              と話していた事も忘れません。

              そんな彼は、リンゴの栽培も行っていて、
              毎年美味しいリンゴを販売させて頂きました。





              しかし、今から10年前、
              2006年の3月に59歳という若さで
              お亡くなりになったのです。(合掌)



              お葬式に参列するために伺った時、
              彼の田んぼに積もった雪が、
              何となくその寂しさを感じました。





               

              秋田県湯沢市「麓の米」3

              0
                「稲川町」のお米を独自に仕入れるには、
                結び付き卸である、三多摩食糧卸協同組合さんに、
                このお米を仕入れてもらわなければならない、という事は、
                前回書きましたね。

                それは、当時「食糧管理制度」というものがあったからです。

                1942年(昭和17年)に制定された制度で、
                日本人の主食である米や麦などの食料の価格や供給等を、
                日本国政府が管理する制度です。






                この制度によって、お米は自由な取引が出来ない商品でした。


                ☆☆☆  ☆☆☆   ☆☆☆   ☆☆☆   ☆☆☆



                <米穀通帳>
                1969年自主流通米制度が制定されたり、
                1972年に物価統制令が改正されるまで、お米の購入には、
                この米穀通帳が必要だった。
                正確には1981年までは、この米穀通帳の
                制度は生きていたけど、実際に使用していたのは、
                極僅かな人だったと記録にある。

                ☆☆☆  ☆☆☆   ☆☆☆   ☆☆☆   ☆☆☆


                そして、1995年(平成7年)にこの制度は完全に廃止され、
                食糧法が制定、2004年(平成16年)には、
                その食糧法も大幅な改正が行われ、
                お米はかなり自由な取引が出来るようになったのです。

                消費者にとっても、
                お米を自由に何処でも買えるようになったのは、
                ほんの十数年前の話なのです。
                (それまでは認可?許可?を受けたお店でしか
                 販売できなかったからです。)






                安藤米店が米卸を直接に通さず、
                この有機米を仕入れるようになったのは、
                たしか食糧管理制度が廃止される1年か2年前だったと思います。

                このお米が所謂「有機米」という事であったので、
                それを販売する「特別栽培米」制度というのを利用して
                仕入れて販売するようになったのです。

                でも、この頃はまだ「麓の米」という名前はついてなかった
                と思います。「稲川町産の特別栽培米」として
                販売していたと思います。

                次回からは、このお米が「麓の米」に変わる、
                麓部落の人たちとの交流などについて話を進めたいと思います。

                 

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